限界
もう疲れてしまった。
社長と社風が受け付けない。
パートの人が「無理」と言ってもきいてくれない。
笑顔でやれますよと言ってくる。
勝手に動く。もう限界。
顧客のためというと何でもしないといけない感じ。
すべきことをやらずにやりたいことをやることをやる気があると思うかのような風潮。
正直、人が入ってこないけれどそれを問題視して改革しようとしていない。
方向性の違いということで退職したい。
私は優秀ではないけれど、そんな私ですらいなくなったら困る、そんな惨状。
もう限界。
人に仕事を押し付ける。
私の能力が低いせいで構わない。それでいい。
誰かを責めるつもりもない。
適応できないので去るというだけ。
ただ、やりかけの仕事はやってしまいたい。
なかなかやめるタイミングがつかめない。
心身の不調。
もう限界。
あれこれ…
6年半も前にこのブログを開設して、投稿していたのがほんの2か月ちょっとだった。
同時に開設したツイッターアカウントをこの前削除した。ツイッターアカウントの方は投稿していたけれど6年間で投稿数は1000にも満たない。
こちらも閉鎖して出直すという考えもあったのだが、自分の書いたものを置いておきたい気持ちもあり、とりあえずはこのまま。
どうでもいい記事は消そうとは思っている。
そういえば、アメブロ、ヤフーブログ、ライブドアブログをかつてはやっていて、どこかで閉鎖したのだったなあ。思い起こせばいろいろやっていたものだ。
で、投稿までしているのは不思議である。投稿するなら新しいものを作り直した方がいいが、そこまでのモチベーションがわかない。
なんとなく、この場を借りてリハビリをしたい心境である。
未だに書くことを仕事にしたいという気持ちがどこかにある。
ツイッターのアカウントも情報発信がしたかったはずなのに、どこかで愚痴投稿になってしまったり。やり直したいのである。
ツイッターのアカウント削除の理由は、外部アプリが使えなくなって複数アカウントの使用が不便になったことと無縁ではないだろう。
また、趣味のアカウントを作成したいという気持ちもあるから、古い物は減らしておきたい。
変化というのは、外部要因によってなされることも多いものなのだ。
徐々にとなると、なかなか変われないものだ。
アカウントを削除した際には喪失感もあったけれど、スッキリした気持ちもある。
なかなか物を捨てられない自分から変わっていこうと思っている。
本当にものすごく久しぶりにデパコスを買った。アイシャドウとリップ。
BAさんのメイクがとても素晴らしく、自分はかわいいと思えた。
衛生面を考えて買い換えないといけないと思っていたものだ。そして古い物を捨てた。
最近は変身動画を見ている。
10年ほど前に大丸でパーソナルカラー診断、顔印象診断、骨格診断を受けた。
カラーについては自信をもって選べたものの、最近は16タイプが出ているとか!
自分のセルフイメージを変えたいのだ。
やりたいことを書いておこう。
野球の遠征。旅行。そして推しに会うこと。通信教育で資格をとること。
10キロ痩せたい。
恋愛したい。
人生を変えるのだ。
追い詰める善意
「本来は彼女がすべきことを友人の僕がやっている」といって物をプレゼント。
そう言っていたと彼から聞く。それをわざわざ言ってくる彼もなんなんだ。
ずっと一緒にいる苦労も知らないで、自分の生活を侵食しない範囲で支援。加点法の友人。減点法の私。
こういう理不尽て介護や子育てでもあるんだろうな。たまにやってきて、きれいな部分だけいただいていく。
当時は怒りよりも追い詰められるような感覚だった。責められているような感じ。健全な怒りというのは必要なことだと思う。
わかってもらえないこと
いくら仲良くてもわかってもらえないことだよなと思う。
経験しないとわからないもの。
経験なんかせず、わからない側の人間でいられる方が幸せ。
ある種の人間と別れることの労力なんて、想像できないんだと思う。
話し合いにならない。
人間性を責められる。
別れることの労力に疲れ果て、なだめる。
「相手が納得しないといけない」という思い込みがあった。
付き合う前は別れることがこんなに大変だと思っていなかった。
ふと思い出して辛くなった。
そういう経験があったからこのブログを開設したんだったな。
だって私も自分が経験する前はその人のように思っていたのだから。
モラハラの起こるわけ
この人と合わないと思ったら別れるのではなく、自分の都合のいいように相手を変えようとする。
合う人を探す方にシフトした方がいいのに。
相手が自分の期待したような人ではないとわかる。真実が見えたに過ぎない。だけど、変わってしまったのだと思う。元に戻ってくれるはずだと。
勘違いだ。あなたの理想の人はその人じゃなかったのだ。
他人を変えようとするなんて傲慢だ。
目を覚まして次にいこう。