喜んでほしいということ

元交際相手と付き合っていて嬉しかったのは相手が喜んでくれることだった。

電話したら喜んでくれる。

毎日声が聞きたい、話したいんじゃなくて相手が喜んでくれるのが嬉しい。そして義務になったり睡眠時間を妨げたり。夜勤の休憩にあわせてたわ。

相手の望む形の愛。

自分自身にあまり欲求がなかったんだろうね。それは自発性のない生き方だった。

周りが喜んでいるのを見ることで自分が嬉しい。なんかいい人みたいに思える。私もそんなふうに思っていたんだ。

相手の感情に敏感になる。自他の境界線が曖昧になる。向こうが怒っていたら嫌な気持ちになる。喜んでいたら嬉しい。共感能力高すぎというか境界の消滅。他人の感情に振り回される。周りが怒っていたら悪いことをしたような気持ちになる。生き辛い。そして、相手のことが嫌になっていくことも。

「他人の感情を引き受けてはいけない」という言葉の意味が最近分かってきた。

他人はそれぞれの背景の元生きており、私の態度に対してさまざまな反応をする。向こうが怒ったからといって直ちにこちらが悪いとは限らない。向こうが不当な要求をしていることもある。こちらに非がないのなら悪いと思う必要はないのである。当たり前のことのようだが、以前はダイレクトに受けすぎていた。